■目的と手段の優先順位って私が普段思っているより簡単に入れ替わるものなのかもしれない。
“
ドリルを買いに来た人が欲しがっているのはドリルそのものではなく、それを使ってあける穴だ”っていったのは確かセオドア・レビットさんでしたっけ? たしかに普通はそうなんだろうと思います、だから四分の一インチの刃先と間違えて一インチの刃先を渡したり、それどころか編み針を売りつけたりしたらクレームの嵐になるハズ。
でもなんでその穴をあけたがっているのか、まで話をひろげたら編み針と毛糸を渡すのもアリになる可能性だってなくはなさそう (ちゃんと頼まれたサイズのドリルを渡す場合に比べてはるかに低いだろうけど〆
■medtoolzさんがブログで
癌を治すと謳う新興宗教に財産を捧げたあげく、癌が悪くなって入院してくる人がいた。
「信仰していたのになぜ?」と問うても、「あんたの信仰が足りなかったから」と教団の人からダメ出し。
落ち込んでいた。
同じ信用商売として、これはやっぱりひどいと思う。
と書いておられたのを読んで某先輩に教わったそのドリルの話を思い出した。
シンプルに考えればこの患者さんはタチの悪い宗教業者に騙された被害者ということになるんだろうしたぶん実際にその通りなんだろうけど、そうした宗教に入信する人の中にはどうみても効目(ご利益?)がないことをはっきりと判っている人も少なからずいるようにみえる。本気で信じている人にしたって宗教屋さんがあまりに弁舌巧みだったりカリスマ性を備えているからついていくわけではなく、元々なにかを求めているところに後からたまたまあてはまったのがその宗教だった場合が多そうだしさ。
そうした一部の方々は『穴をあけたいわけじゃなく、なにかをしていたいだけ』なんじゃないだろうか。だとしたらその宗教団体は求められているものだけは確かに与えたのだから非難されるいわれはないのかもしれない。かつてはお医者さんやお坊さんがそうした需要にも対応していたはずなのに社会的な状況の変化で空白が広がっているのか、な。同じ信用商売として、ってあえて書いてるmedtoolzさんはそのあたりは承知の上で嘆いてらっしゃるんだろうけど〆
■とはいえ自分達をすがってきた相手に“
あんたの信仰が足りなかったから”と答えるような方はご自身も癌になってしまえばいいのにと思わなくもないな。むしろなってしまえ、そして信仰のチカラで快癒すればいい (マテ〆
たぶん同じようなことをお思いになったでしょうに
西洋医学に喧嘩を売る宗教家ならば、やっぱり一度は医学と対決すべき。
最大出力の加速器から飛ばされた炭素原子を、教祖が信仰の力で止めてみせる。
止められた重粒子から放たれる電子は、たぶん教祖の手のひらを青く輝かせるはず
と結ぶmedtoolzさんは大人だな。
こういう大人に私もなりたい〆