√ウチダ先生がお勤めの大学ではREMEDIAL TEACHINGのための研修が行われた由、わたし達も常日頃から同期や後輩との能力差に日ごろから悩まされているので他人事ではなかったりします。
先生はREMEDIALって『補習』のことだよ、とさらっと流しておられましたけれど、たしか本来は『治療の』っていう形容詞でしたっけ?
辞書を牽いてみたところ名詞だとREMEDY、まんま治療法とか医薬品を指すコトバでCUREと同義。同型の動詞として使えば“
悪・欠点などを矯正する、改善する”という意味らしい。
先生は救済する立場の方ですから、
“端的に言えば、「リメディアル」というのは戦後の教育行政の失敗の「尻ぬぐい」を誰かがやらなければいけない、ということである”と位置づけて
“私の意見は「座礁した船」を救う場合と同じである。
使えそうなものは救い出す。使えないものは棄ててゆく。
「すべて」を救うことはできない。
だって、もう「座礁」しちゃってるんだから。
ありあわせの資材を集めて「救命筏」を組み、積み込める限りの資産を救うしかない。
「リメディアル教育が必要な事態に立ち至った高等教育から〈最良のもの〉として何を救い出せるか」という戦略的な問いを最優先すべきだろうと私は思っている。
とりあえず教育者の良心として、私たちのもとにやってきたすべての学生は「救うべき最良のもの」を潜在的に有しているものと考える。
彼らに対して大学はいくつかのオプション(「命綱」だね)を提示する。
それをつかむ学生は「筏」に乗れる。
それをつかまない学生は「筏」には乗れない。
非情なようだが、教育資源に限界がある以上(それは救命ボートの「空き席」と同じことだ)、「救える見込みがある」学生にリソースを集中しなければ、全員「共倒れ」である。”
と(おそらくはスタッフと学生、そして同じ状況にある他大学の先生方に向けて)メッセージを記しておられました。正論ですね。
でも『救済される側?』からすると異論が幾つかあったりします。
筏という譬は『最後のバスに乗り遅れるな』というフレーズに似て、なんとかしないと手遅れになるよというマジナイで学生の思考を麻痺させはしないでしょうか、っていうかわたし達は実際にちょっとあせりかけましたし。
別に筏に乗れなくても死にはしません、ただ“
国際共通規格の学士号にふさわしい学力”への途が閉ざされるだけ。
それはそれで困ったことなのですけど、でも先生もおっしゃられているように大学『全入』の時代には学問への適性に乏しい学生も本人(あるいは親)の希望にしたがって入学してくるわけで、そこで必要なのは『すこしでも上を目指せるよう、なんとか落ちこぼれないようにしてあげる方法』よりも『自分の能力を冷静にみきわめて将来を選択できるようにするコト』じゃないでしょうか。
『ドラゴン桜』では阿部寛さんが『バカとブスこそ東大へ行け』と断言されてました、でも東大に届かないバカとブスは手に職をつけて生活力を高めたほうが自分自身のためかもとわが身を省みてしみじみ思ってみたり。
なにより全員が大学へ入学するわけではない以上、大学内の『補講』で教育行政の失敗を『補修』することは不可能なんだし、ねえ?
このあたりはウチダ先生ご自身も『できる人間がやるしかない』とだけ述べられていますが、真面目な話どうなってしまうんでしょう〆
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追記:なにかと話題のTBSで今晩十時から『ドラゴン桜
特別編』が放映されるみたいですね、阿部さんでてくるのかな〆
続報:そいで、わたし達みたいな谷間の世代はどうすればいいのでしょうか。
(cf.共同通信@excite:小学低学年、授業時間増へ 中教審部会が素案[LINKROT]
というよりさ、2010年度から実施ってコトはいま現在&来年再来年に学ぶ子供達の気持ちはどうなるの。
こうなってくるとREMEDIAL TEACHINGの研究って、特に問題のある学生対象のものばかりじゃなしに、かなり必要なのものなのかも〆
✽✽✽02/08/06✽✽✽