√『読書の季節』企画第二弾はダビデ姐さん@MITの村上春樹さん遭遇記です。
といっても正体は相撲部宛に届けられたe-メールだったり。
春樹さんの講演が(なぜかハーバードじゃなく)MITで開催されるというハナシを聞いたので、どんなだったかあとで教えてくださいと頼んでおいたんです。
送られてきた内容がなんだか予想外で、しかもハルキさんっぽい展開だったので姐さんにBLOG バカヤマに書き写してもいいかと訊いてみたところ、快く許してくださいました (感謝
けど、改変捏造はNGとのオコトバでしたのでそのまんま引用しますね。
MITに村上春樹が来るという。
学内に入ると、ハルキさんの顔を全面にコピーしたチラシが至るところにある。ハルキと知らなければただのさえない極東のおっさんである。日本アニメの女キャラを描いたアニ研のチラシの隣に貼ってある時なんかもう、まったく無関係ながらも同国人としてちょっと切ない。
今だ時差ボケ気味のダビデは、夜七時の開始に向かって、家で三時間くらい寝ておいた。こちらに来てから、暗くなるとすぐ眠くなるからだ。夜九時に寝て朝五時に起きるのが今のダビデの生活である。それって単に健康になっただけではという気もしないでもない。だけど普段日本なら午前1時、二時の就寝で八時半過ぎに起きている人から見れば、宵の口に眠くなる今の生活は時差ボケ以外の何でもない。
真昼のベッドの中で「ノルウェイの森」を復習しながら考えたことは、ご都合主義ガールズの女妄想ならぬ男妄想世界だなーということだ。結局オレ好き&セックス云々話だと思うのだが、そんな血走った青年時代を水彩のような透明感に仕上げるのが才能というものである。
一時間前にTに乗って、MITのCOOPで待ち合わせ。なのに、グリーンラインからレッドラインに乗り換える時に来てる列車に飛び乗ってしまい、反対方向に(汗) すぐ気づいて降りた駅は、犯罪の多さを誇るオレンジラインの乗換駅…あわわ。いきなり有色人種がどっと増える。ちょっとドキドキだったが、親切そうな白人女性に道を尋ねて何とか元の方向のホームに戻れた。勝手なアジア人である。
無事時間には着いたものの、待ち合わせ相手が迎えに来たのは結局10分後…その間、バカ山への土産としてCOOPでTrevanian新刊を買えたのはラッキーでしたが。
当の教室は、バカ山本館の大教室くらいの規模。開始30分前なのにすでに椅子はない。仕方ないので通路に人があふれかえる。それにしてもやたら暑い...と思ったら、黒板に「IT IS HOT BECAUSE THE COLD WATER PIPE IS BROKEN. FIXIT IS AWARE OF IT.」とある。なるほど、いちいち文句たれるなというわけね。
次第に演壇の周りにさえも人がごったがえした。日本人の赤ちゃん連れが、記念写真を撮るためか演壇に上がる。マイクの前できょとんとする赤ちゃんに声援と拍手が起こる。赤ちゃんスピーチ開始か?!生後三ヶ月くらいにして村上春樹の前座を務めるとは恐るべし。
ホスト役もなかなかの入りに上機嫌に見えたのだが、開始時刻が迫るころ、神妙な顔で切り出した。-立ち見の人は全員出て行ってくれ- 消防の関係で、立ち見ぎっしりの満員では実施できないのだ。当然、ブーイング。なかなか立ち去らない。ダビデだってせっかく質問マイクに近い通路に座ったのだもの、動きませんよ! せっかくハルキさん本人も入場したところだったのに、今になってだなんて!ねえ?
やがてMITポリスが来てしまい、最終的に立ち見の人は全てつまみ出された。たぶん会場内の人数は半分に減ったと思われる。ポリスは普段は暇みたいなのでこのシュチュエーションがちょっと嬉しそうであるが...でもさすがに少し悔しいので、どさくさに紛れて足を踏んづけてきた。
というわけで、写真と同じ地味なハルキさんをチラ見しただけでした。確かに、もし巨大な講堂を借りてしまって、ハルキさんを囲む人が日本人数十人であれば、かなり侘しかったであろう。しかしやってみれば八割方現地人だったし、主催者側としては嬉しい誤算だった。
だが、バックパックを背負った各国の学生がため息交じりで廊下にたたずんでいる光景は、ハルキさんらしくなかったかも。
いや、むしろハルキさんらしかったのか?
彼等は家に帰ってこう書くのだろう。
「2005年、ボストンの秋だというのに、僕は半袖だった。講堂は学生の熱気が充満していた。僕らは通路を陣取ったが、ついに警察につまみ出され、高名な作家の講演を聴きそびれた...」
次の若者の物語の中に、今度はハルキさんがこんな役回りで登場するのだ。それはそれで、ロマンチックとは思いませんか?
残念っ、......でもダビデ姐さんは春樹さんにどんなキャラクターを期待してたんでしょうか。もしかして角川“ジャンク・シャーマン”春樹さんか誰かのイメージが混ざってる?
それはそうとMITポリスなんていう方々がいるんですね、初めて知った。
村上春樹さんって長いこと欧米の大学を渡り歩いてらっしゃるのに、そうした大学内の世界を舞台にした小説を書いたりはしてませんよね、プロってそういうモノなのかな〆
追記:ながりサンがexciteでBLOG検索してみたら、村上春樹さんの『朗読会』について書いてあるBLOGが幾つかあったとか。
早速わたし達も試してみました。おなじ出来事について書かれた文を読み比べてみることで見えてくるものってありますね〆
●sakoncyan さんの『
芸術週間』
●appa_boston さんの『
村上春樹さん』
●totodan さんの『村上春樹講演会』
[LINKROT]
●swinganovaさんの『徒労』
[LINKROT]
なぜかどなたも朗読会の内容に直接触れていないのが、すこし不思議、でもまあ核心については語りおとされるあたりがいかにもハルキさん的なのかも〆 10/11/05
二追:ニューヨークタイムズのサイトに春樹さんが朗読した『かえるくん、東京を救う /Super-Frog Saves Tokyo』の録音がありました。MITでの録音ではなく、2000年にNYで行われた講演会の一部で、日本語と英語両方での朗読が聴けます。
*メールアドレス等の簡単な登録が必要です 10/11/05
三追:男性用整髪料ブランドの『Gatsby』ってあの『Great Gatsby』のイメージだったんだって。
そうウチダ先生が“
村上春樹訳のスコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』 たぶん、いま日本人読者がいちばん待ち焦がれている(新訳モノ)は、これだろう”と言い切ったあの作品がモチーフらしい、なんとなくわかるようなわからないような。
でもさあれって、田舎モノの青年が一生懸命背伸びして階層差を乗り越えて上流社会にまぎれこむことに成功するけど、でも結局さびしく死んでいくってオハナシだったよね? 『ノルウェイの森』にでてくる外交官の原型?でしょ。
世の中学生男子が最初に手に取るだろう、入り口ブランドにそんな名前をつけるなんてステキすぎます『マンダム』さん〆
っていうかそのマンダムは『ガンダム』の元ネタ(といっても音の響きだけでしょうけど)だと聞いたことがあります。あのロボットって最初は『ガンボイ』になるハズだったとか......昆虫? 10/14/05
続報:ああ、それはみてみたいかも。
(cf.毎日新聞@excite:直筆原稿が古書店に大量流出 編集者が無断売却[LINKROT]
読んでみたいといいうよりは、ただ見てみたい。でもそんなかんじなただの好奇心って、村上さん(の小説にでてくるタイプの方々)からは軽蔑されそうですね。
でも初期の作品群は村上さんが常に持ち歩いていたノートに書かれていたというし、それがどんな風に変化して完成した作品になっていったのか、小説は映像作品なんかと違ってメイキングフィルムがつくられることはないし、悪趣味なんだろうけどやっぱりみてみたい (マテ〆
✽✽✽03/10/06✽✽✽
続報に追記:この件は単なる不幸な事故ではなく“日本文学の深層に至る深い斜坑”の一部が地表に露出したのだ、とウチダ先生はお考えのようです。
安原さん個人(が最後の最後になってネガティブな感情に捉われたために起きてしまったという種類)の問題ではなく、“「村上春樹に対する集合的憎悪」という特異点”が確かに存在して、それが構造的な問題のひとつの顕われだというお話は、わかるようなわからないような。
ウチダ先生のご説明を読んでいると、逆にコレって特に『日本文学』だけに限られた問題じゃなく、どこにでもあるトラブルなんじゃないかという気がしてきます。
才能と人格を切り離して考えることができずに苦しむのも、自分より劣っているはずの相手が自分より評価されていることが嫉ましいのも、“自己評価と世間からの外部評価との間には必ず落差があ”ったりすることも全て、『日本』や『文学』と深い関係にあるのと同じくらい、ほかの事柄とも結びついている普遍的な問題のような気がする。
もしかしたら明治以来のお家芸『私小説』の流れと関係あるのかな、日本(≒私)は特別なんだという前提があって成り立つ物語のなかの『話』ということなのかも (オイ〆
というか、こういう話なら私にも書けそう(≒この人は私に似ている)と複数の読み手に感じさせる技巧はもともと村上春樹さんの得意技のひとつだろうと、わたしは思うのですけど、そのあたりはどうなんだろ〆✽✽✽03/12/06✽✽✽
*yuiさんのBLOGがリンクしているaruhenshuさんもご自身の
BLOGからウチダ先生のBLOGにトラックバックしておられて、“
「書くこと」と「編むこと」はそれぞれ別の才能を必要とする行為であり、その両方の才能を有する人は、ほとんどいないと言っていい”と述べておられました。そのあたり、職業として日本語の文章に携わっている方にしかわからない『問題』があるのかもしれません〆
続報の追記につけたし:聞けば聞くほど普遍的な事柄のように思えてくるのは、やっぱり全くわかってないからなのかも。
そもそも読み手からみると批評家と編集者って違うお仕事っぽくみえるのですが、実はよく似てるものなんでしょうか。批評家/編集者がいなくても小説家はやっていけるかもしれないけど、逆はありえないというコトか。そのあたりの物事の順番が序列と絡み合っていることが、実際に作品をつくってる方々にとっては問題なのかもしれない、と思ってみたり。
だけど単なる読み手にとってはあんまり意味のない話ですね。SUZUKI(小説家)とヨシムラ(批評家)と乗り手(読者)の関係みたいなものなのか、な。先鋭的なライダーにとってはチューニング・パーツは必需品だけど、わたしみたいな乗り手にとっては猫に小判、ヨシムラみたいな一流どころだって基本的にはバイク・メーカーの後追いだけど、時には新車開発の方向性に影響を与えたりすることもあるとか......、って自分でも書いててわけわかんなくなってきました、ゴメンナサイ〆
✽✽✽03/13/06✽✽✽
続報:ジェイ・ルービンさんもいらしてたんですね、どんな人だったのかな。
(cf.毎日新聞@excite<村上春樹文学>研究者らが「魅力」語る国際シンポ[LINKROT]
原稿流出事件の話はでたのかな、伝統的にタイプ原稿が中心の国とワードプロセッサが普及するまで手書きが基本だった国では捉え方が違うかもと、なんとなく考えていたのですけれど。
そのあたりはどうだったんだろう〆
✽✽✽03/25/06✽✽✽
続報:シュエフェイ・ジンさんが貰った賞でしたっけ。
(cf.共同通信@excite:村上春樹氏にオコナー賞 カフカ賞に続く快挙[LINKROT]
今回もルービンさんが代理だったとか、村上春樹さんの作品への彼の影響ってどのくらいあるんだろう。これだけ信頼しておられるのは村上さん自身が翻訳者でもあるからなんだろうな〆
✽✽✽09/25/06✽✽✽