√『飢えた子供を救うことはできないが、自殺をおもいとどまらせることはできる』
と最初に言いだしたのは誰でしたっけ、昔のアメリカ人作家が言いそうな科白ですよね?
たしか『小説のもつチカラ』を巡って交わされたコトバのうちのひとつだったかな、でもわたし達のことだから完全な勘違いかも。
十代のころ『自殺してはいけない理由』をひたすら数え続けていた時期がありました、わたし達にもそんな生真面目な時期があったんですね。ただいくら考えても『窮極の回答』がみつからなかったので、そのうち面倒くさくなって探すのをやめてしまたんですよ、いまから考えるとかなりのオバカだ。
昨日の
ブログで私淑するウチダ先生が“
「生命の重さ」を計量する度量衡がもしあるとしたら、それはどれだけ多くの人にとって、どれだけ痛切にその人の不在が「欠落」として感知されるか、その欲望を基準にしてしか量る手だてはない”と述べておられるのを読んで久しぶりにその『問い』を思いだしました。そういえば自殺を思いとどまらせる時にしばしば使われる、つまり経験的に有効だと考えられている説得のコトバは「あなたが死んだあとに遺される人間の気持ちを考えてみろ」ですね、わたし達も使ったことがあります。
このコトバは『自分自身が死んだあとの世界を想像する』つまり『死者の眼』で自分の周りをみることを相手に求めるんだ、ということに今頃気がつきました。死んだ自分の意識を模倣することができるなんて、凄いな。
『コトバ』つまり『物語≒小説』のもつチカラの源泉はそのあたりにあるのかも〆
<+600g / -200g>
追記:ウチダ先生は先程の文章のあとに『葉隠』を引用して『話』を続けておられます。それを読んで『倫理』というのはオハナシ=根源的なチカラをもったフィクションなんだなと思ったんですが、実際のトコロはどうなんでしょうね〆
二追:厚生労働省の調査によると“自殺した人の7割が誰にも死にたい気持ちを相談していなかった”んだとか
(cf.毎日新聞@excite:厚労省研究班調査[LINKROT]
自殺という行為自体は一概に否定したりできるものではないでしょうけど、過労や加齢による欝状態からの自殺には交通事故めいた部分があるし、対応策を整備することで減らせるんだったら是非そうして慾しい。
三追:ハグすることが問題の解決に結びつくとお考えの方もいらっしゃるみたい。
でもそれって『人のぬくもり』が必要だという『物語』の外へでてしまった相手にしか効果がないだろうし。
十代の自殺ってなにか『原因』があって『不安』になるんじゃなくて、理由もなく『不安』になってから『原因』を探してるような気がする。だから個々の原因に対処するよりは『世界はあなたが思ってるより広いし、何がおきるか何もわからない』ってことに子供達が自分で気がつけるようにしておいてあげるのが大人のシゴトなのかも、と数年前まで十代だったわたし達は思ってみたり〆 10/22/05
続報:先週だったか、文部科学省も同じような取り組みを発表してましたっけ。
(cf.共同通信@excite:自殺原因の分類、見直しへ 警察庁、データ提供検討[LINKROT]
この取り組みは特効薬にはならないだろうけど、時間さえかければある程度の効果は見込めるタイプのものだと思います、アリバイづくりに終わったりせず継続してくれるといいな〆
✽✽✽07/24/06✽✽✽
続報:これが善くないコトなのって、債務者が『自殺してまで借金を返そう』としたりそこまでいかなくても、例えば持病をお持ちの方が積極的に治療を受けなくなったりする惧れがあったりするからですよね。
もっと怖い想像もありますが、大手はさすがにそこまではしてないと思いたい。
(cf.毎日新聞@excite:<大手生保>消費者金融に死亡診断書の提出義務付け[LINKROT]
それは判らなくもないけど、そういう相手からお金を借りた人たちのなかに『つい最近まで(あるいは今も)TVで流れてたCMや一流の新聞に載ってた広告』をみて信用した人ってどのくらいいるんでしょう。生命保険が契約に含まれてるのってつい最近の変化じゃないでしょうに、そのあたりをなかったことにしてる報道はどうせまた別の場所で同じようなトラブルを起こすような気がします。
いつだったか毎日新聞に“
バブル経済とその崩壊で崩れた経済倫理は、再生されていない。生命より金銭が優先され、大手生保も疑問に思わない。都心のマンションの売り惜しみにも、似た発想を感じる。”って一節がありました。
いえ、もっと似ているものがそれこそ目の前におありでしょうに。
この文章は現場にいる記者さんのなかでもベテランの人がお書きになったのかな、マンションを買い損ないでもしたんでしょうか、たぶんバブル以前の消費者金融(の取立て)は今よりもっと酷かったろうというのは、そのあたりの記憶がない私でも見当がつきますし何でもかんでもバブルのせいにする方法論は色々悪い影響を実社会に及ぼしそうなのでやめた方がいいと思いますよ (オイ〆
✽✽✽09/17/06✽✽✽
追記:ひどい話です。
(cf.共同通信@excite:担任が言葉でいじめ 福岡の中2男子自殺[LINKROT]
教員志望なうちの妹はこのニュースを聞いて「ありえない」と怒りくるってました、確かにそうだ、でもありえないことではないような気もします。でも報道メディアでみかけるコメントや他の方が書いておられる文章は起きてはならないコトとか絶対許せませんという論調がほとんどみたい。
そういうコトバって実際に苛められてる『子供』が聞いたらどう思うんだろう。人間が群れをつくる『社会的動物』であるかぎり、どんな場所でも虐めは起きうるだろうし、それこそ職員室なんて苛めの宝庫だっていうしさ (だから教師が子供を愉しみのために傷つけてもいいというわけではもちろんないし、そんな莫迦教師は他の仕事がいくらできても相応のペナルティが必要だろうし、そもそも人並みな想像力のない人間を教師にしちゃダメだよね〆
あたりまえのことだけど子供たちはまだ『こどものじかん』しか生きたことがないわけで、感覚的には『今』が永遠に続くような気分になりやすい『無時間モデル』な世界で暮らしてるんだからそんなときに苛められたら誰だって絶望するでしょう。そんな状態で『イジメ、ダメ絶対』とか言われても信じられないハズ、今回みたいに苛めが原因で子供が自分から死を選ぶような悲惨なトラブルを減らす(ゼロにはできないだろうけど)ためには、苛めはありえないことなんていうフィクションを教えるのをやめて、そういう状況がいつまでも続くわけではない変化しうる事柄にすぎないと子供たちに教えてあげる方がまだ有効な気が、もと子供としてはしなくもないのですけど〆
✽✽✽10/16/06✽✽✽
追記:週刊新潮さんが亡くなった男の子の実名や元担任だった方の氏名と顔写真を掲載したそうですね。
また『すでに死んでいるからプライヴァシーを保護する必要性はないと判断し』た他のメディアが追随したりするんでしょうか? 自分が被害者になったときのための『
意思表示カード』ってもしかして本当に必要なのかもしれないな、なんだか本気で心配になってきました。
ところで週刊新潮さんの記事って前回は無署名でしたけど、今回はどうなんだろう。石を投げるにしたって投げ方ってものがあるでしょうに〆
✽✽✽10/21/06✽✽✽
追記:部活動に熱心だったり、友達に冗談めかしてつらいと伝えたり、ここのところ立て続けに自殺による死を報じられているケースは、みんなごく普通の子どもたちっぽいだけに余計せつない。
(cf.共同通信@excite:中3が飛び降り自殺か 前日担任にしかられる[LINKROT]
周りにいた大人はつらいだろうな。こんなときに報道メディアにでてきて「これは誰の責任だ」と追求するほうに力を注いだり「生きる力が弱まっている」とか抽象論を説いてきかせる人たちってタフだなとつくづく思う。たぶん善意でなさってるんだろうし、理解したいという欲望は強い方々なんだろうけど。
*とはいえそもそも中高生の自殺って本当に増えてるんでしょうか。
若年層が一年ごと一歳刻みで集計されてる人口統計と自殺件数の統計を三十年分くらい比較してみようと思って昨日から心当たりをあたっているのですが、みつかりません。どこを調べればいいんだろう〆
✽✽✽11/02/06✽✽✽
*ウチダ先生がこの件についてこんな言葉を紹介しておられました。
“
多くの人が勘違いしているが、いじめは正義感の欠如によって起こるのではない。反対である。正義が多数と結びついたところに、いじめが起こるのである。 <<中略>> 社会の規範意識や情操が希薄化しているから、教育の現場もそれを模倣する”
なるほど、確かにそうかも。これは先生の旧友平川さんの言葉だとか (平川さんは東大空手部出身、松涛館の有段者だから私にとっては同門の大先輩にあたる方みたい、武道的に言うと遠い親戚の偉いヒトみたいなかんじなのかな〆
つくづくごもっとも。
正直な話、日本国内で『学校』というものに通った経験があるひとの中に『イジメ』を見たことも聞いたこともないってひとはまずいないと思うのに、なぜか皆さん他人事(&イジメは不自然な状態だというフィクション)なコメントばかりなのが不思議だったんですけれど、これでなんとなく納得できました。
みなさん『学校』に関する事柄を見かけると、自分も何か言わなくてはいけないような気分になるってこと、それ自体が教育現場をここまで悪化させたのかもしれない (つまり今の私もそれに加担してるってことか
毎月美容院にお客さんとして通ってるからといって美容院の経営や接客に口を出そうってヒトは(あんまり)いないのに、学校の場合は『学生』としての経験しかなくても『教師』や『教育』について教師自身よりも詳しいような気になってしまうヒトは決して少なくなさそう、なんでなのかな。謎です。
それだけに“
政治家と官僚たちは(ついでにメディアの諸君も)お願いだから学校のことは忘れて欲しい。あなたがたが学校のことを忘れてくれたら、それだけで日本の教育はめざましい復活を遂げる”ってウチダ先生の指摘はたぶん当たってるんだけど実現するのはかなり難しそう〆
✽✽✽10/21/06✽✽✽
追記:『逃げる』って選択肢、というかコトバから『易きに流れる』ようなイメージしか受け取れない空気が、状況をより悲惨なものにしているってdankogaiさんの御指摘は貴重なものかもしれない。
子供たちや苛めだけに限った話でもなさそうだなと、わが身を省みておもうし〆
✽✽✽11/09/06✽✽✽
追記:若年層の自殺とベテランの方が自ら望んだ死を同列に並べるのはちょっと違うとは思うけど、でもこの先生はご自身の自殺が生徒に与える影響をどこまでお考えになったんでしょうか〆
(cf.共同通信@excite:恐喝発覚の小学校長自殺 北九州、謝罪会見の翌日[LINKROT]
『逃げる』ことには厳しい一方で『自殺』には寛容な文化だってことも背景にあるのかな。
苛めに関して『バチ』と『罰』のズレが底にあるんじゃないかというご意見を某所で聞きました、どうなんだろう〆
✽✽✽11/12/06✽✽✽
追記:原因(の一部)がある、っていうのと責任(の一端)っがあるのとでは似てるようで全然違うと思うんだけど、どうなんだろう。被害者の側にも原因なら間違いなくあるだろうけど......、そのあたりが曖昧になってるのはなんかヘンかも〆
(cf.J-CAST@excite:いじめられる奴に問題あり! 金八先生発言で議論白熱[LINKROT]
✽✽✽11/15/06✽✽✽
続報に追記:まあ皆様薄々判ってたことなんだろうけど、確信犯だったってことか。
そして日本生命さんはこの程度のトラブルなら「顧客の申請を疑う立場にない」ってフレーズで流せるとお思いなわけなんですね、なるほど〆
✽✽✽11/28/06✽✽✽